momoko-mamaの          今日のことのは

アラ還世代のmomoko-mama。長年暮らした戸建てからマンションへの住み替えをしました。日々のくらしの中で日々、感じたこと、考えたことを綴ります

大熊猫、中国へ還る

パンダを漢字で書くと「熊猫」。「熊」というのはわかるけど、なぜ「猫」? 調べてみると、もともと「パンダ」は、いまの「レッサーパンダ」のことだったらしい。小柄で木の上を歩く姿は「猫」に似ているといえば似てる? その後、ジャイアントパンダがみつかり、いつのまにか「パンダ」と言えば、ジャイアントパンダのことになったらしい。ジャイアントパンダは「大熊猫」。レッサーパンダは「小熊猫」。わが家の近所の動物園にも「小熊猫」はいる。この子も、かわいいのですが、やはり「大熊猫」のかわいさには負けるかも・・・。

カンカンとランランが日本にやってきたのは1972年。日本は空前のパンダブームで、地方に暮らしていたmomoko-mamaも大きなパンダのぬいぐるみを買ってもらったことを覚えている(実は、まだ実家にいる)。しかし、あの頃は、みんなパンダをよく知らなかった。ぬいぐるみは、手と足と目の周りが黒い毛の熊だった。パンダは手だけが黒いわけではなく、両手の黒い部分は背中でつながっていることを知ったのは、随分後になってからだ。

ここ半年ぐらい、パンダの動画サイトにはまっている。上野ではなく和歌山の方。やることなすことが、とにかくかわいい。子どものころ、長時間並んで見たランランは、遠くで寝ていて動かなかった。だから、動物園のパンダは、昼間は寝ているものだと勝手に思っていた。しかし、実際には、パンダがは木に登る動物だった(降りるのはあまり上手ではないが)。座ったり、寝転んだり、立ち上がったり・・・。飼育員さんにおやつや美味しい竹を要求してドアの小窓を除いたり・・・。いろんなことがよくわかっているように見える。まったりしているパンダは、まるで、おっさんが入っている着ぐるみのよう。和歌山にはスパーパパの「永明」さん、かわいい「良浜」ママ。8歳の双子「桜浜」「桃浜」を頭に、「彩浜」「結浜」そして2歳の「楓浜」の7頭のパンダがいる。それぞれ姿にも動作にも個性があることが、動画だけでもだんだんわかってきた。退職したら、和歌山にパンダに会いに行こう!と思っていた。

そんな時、和歌山の3頭の中国返還が発表された。絶滅の恐れが高いパンダは、ワシントン条約で商業目的の国際取引が禁止されている。あくまでも、繁殖や研究を目的としての貸与。そのため、たとえ子どもが生まれても所有権は中国にあり、いずれは返還しなければならない。そもそも、和歌山の7頭はみんな親子・姉妹なので、このままでは繁殖できない。中国に還る(日本で生まれた子は、中国に行く?)ことは、これからのパンダ生にとっては必要なことだ。ただ、言葉の通じないパンダにとって、住み慣れた環境からいきなり離されて、知らないところに行くことはどんな風に感じるのかなと心配になるが、中国でもパンダは大切に保護されているらしいので、きっと、あっちでも大切にされ、いいパートナーに出会えると信じたい。

今日、上野のシャンシャンは一足先に中国に発った。

明日、和歌山の「永明」パパと「桃浜」「桜浜」も中国四川省に向けて旅立つ。残念ながら、直接会うことは出来なかったけど・・・。「ありがとう」そして「これからも、元気で幸せに暮らしてね」。